何をおいてもその時間だけはTV前に正座で集合!!
わかりますか?
ビデオの「ビ」の字も家庭になかった時代、好きな歌手やアイドルのTV出演を見逃すまいと、TV前で正座して待ち構えたものでした。
特に、70~80年代にかけて生放送のベストテン系番組が流行っていたころ。
TBSの人気歌番組「ザ・ベストテン」を筆頭に、さまざまな番組で歌手たちの生歌唱を見ることができました。
「好きなスターをリアルタイムで見ることができる」生放送での音楽番組が非常に多かったこの頃、本当に貴重で贅沢な時間を味わうことができてしあわせでした。
この「TVに正座」シリーズでは、特に昭和時代を彩ったスターに焦点を当てその魅力を解説していきます。
今回は昭和大人気男性歌謡スター西城秀樹さんについて語っていきます。
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昭和歌謡スター西城秀樹のプロフィールとデビュー秘話
まずは秀樹さんのプロフィールをご覧ください。
西城秀樹(本名 木本龍雄【きもとたつお】) | |||
生誕 | 1955年4月13日 | ||
死没 | 2018年5月16日(63歳) | ||
出身地 | 広島県広島市 | ||
活動期間 | 1972年~2018年 | ||
事務所 | 芸映→アースコーポレーション |
広島市に生まれた秀樹さんはジャズギターが趣味の父親の影響で幼少期から洋楽に慣れ親しみ、楽器の演奏もたしなむ少年でした。
小学生の頃からドラムを叩き、中学の文化祭では2つ上の兄と組んだバンドでステージ演奏をしています。
その後ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストに出場し、中国地区大会優勝。後にお店で歌唱していたところをスカウトされます。
猛反対する父親を振り切り、高校一年生の秋家出同然で広島から夜行列車で東京へと向かい、そのまま都内の高校へと転校。
翌年1972年3月には日本ビクター株式会社のRCAレーベルよりシングル『恋する季節』で歌手デビューをはたしたのでした。
昭和歌謡スター西城秀樹人気の秘密
秀樹さんは新・御三家の野口五郎さん、郷ひろみさんとともに人気を博し、当時の歌謡界を牽引する時代の顔となっていきました。
その人気の秘密を探っていきましょう。
西城秀樹人気の秘密①圧倒的な歌唱力と声の魅力
秀樹さんが人気だった一番の理由の一つは、何と言ってもその歌唱の素晴らしさ!
TBSテレビ『ザ・ベストテン』の名司会者であり、数々のスターたちの歌唱を目の当たりにしてきた黒柳徹子さんは「(秀樹さんは)ダントツに歌がうまかった」と語っています。
レコード大賞新人賞こそ1票差で逃したものの、2年目には6枚目シングル『ちぎれた愛』がオリコンチャート初の1位を獲得し、同年の日本レコード大賞では歌唱賞を受賞し評価も高まっていきます。
実は『ちぎれた愛』では曲中に「好きだ、好きだ、好きなんだよー!」と絶叫する台詞が挿入されていて、これがインパクト絶大でした。
新人賞を逃しNHK紅白歌合戦出場もできなかった悔しさを乗り越え、自分のスタイルを確立しようと「シャウト唱法」の採用を自ら提案。
シャウト唱法はアメリカで当時流行していた唱法でした。
このシャウト唱法が秀樹の新たな魅力を引き出し、1974年『傷だらけのローラ』で2年続けて日本レコード大賞歌唱賞を受賞します。
秀樹さんの初期は情熱的な恋の歌が多くその主役としての秀樹さんのインパクトのある歌唱は多くの女性ファンの心をトリコにしました。
「やめろっと言われても~♪今では遅すぎた~激しい恋の風に~巻き込まれたら最後さ~♪」とアクション付きで歌う秀樹さんに、小学校低学年だった筆者もハートを射抜かれていました。
高い歌唱力ももちろんそうですが、秀樹さんのハスキーでワイルドな歌声は唯一無二のものでした。
松任谷由実さんは秀樹さんのスター性の根源には「声の素晴らしさがある」「歌手は声がその運命を100%決める」と語り、「(秀樹さんの声は)斜のかかった強い少年声」と独自のワードで称賛しています。
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西城秀樹人気の秘密②派手な衣装と激しいアクション
現代では「歌」「ダンスパフォーマンス」をアーティストが同時に行うことに何の抵抗も違和感もなく見ている私達日本人。
秀樹さん以前の歌謡界でもさらっと「ダンス」あるいは「振り付け」を交えて歌う歌手はいたでしょうが、いわゆる「アクション」をつけて踊りながら歌うというパフォーマンスは秀樹さんが最初だと言われています。
新・御三家の他のメンバー郷ひろみさんは「アイドル的な魅力」野口五郎さんは「歌唱力」に特化してプロモーションが行われていました。
秀樹さんについてはそのワイルドな魅力を活かすために「情熱的でセクシーな男性的魅力」をコンセプトとして打ち出していくことが決まり、楽曲、衣装、振り付けなどすべてがそのコンセプトに沿ったものでした。
長身や長い手脚が映える、アメリカのエルビス・プレスリーを意識した袖やズボンにビラビラのひもがついた衣装は秀樹さんでなければ着こなせないものでした。
その衣装を身にまとって180センチを超える長身から繰り出される激しいアクション。情熱的な歌唱法。
秀樹さんはこのパフォーマンスでファンを魅了していきます。
追記
先日NHK総合『歌える!J-POP黄金のベスト・アルバム30M』のテーマが「振り付ける」。
このテーマとくれば、「秀樹さん!!」と、MCの平野ノラさん、ゲストの早見優さんが
「本当に秀樹さんはカッコよかった……」
と2人とも目がハートマーク。
特に早見優さんは共演経験もあり、
「カッコいいだけでなくて、お人柄も本当に優しくて素敵な人でした」
というコメントからも芸能界にも秀樹ファンは大勢いたのだと判明!
そして久しぶりに秀樹さんの『激しい恋』を「ビッグショー」の映像で見ることができましたよ~!!
2人とも、『激しい恋』をモニターで見ている間、おなじみのコール「ヒデキー!」って叫んでる映像までオンエアされてましたが、わかるぅー笑
このNHK『歌える!J-POP黄金のベストアルバム30M』ではお宝映像のオンパレードだから、要チェック番組ですよ~。
偶然なのでしょうが、先日(2023年10月18日)亡くなられたもんたよしのりさん。
今回の番組で秀樹さんの『ギャランドゥ』作者としても紹介されました。
そして懐かしの『ダンシング・オールナイト』が流れました(訃報前のオンエアです。なんというタイミング)。
まだ72歳という若さでほんとうに残念です。
ご冥福をお祈りいたします。
西城秀樹人気の秘密③気さくな素顔
秀樹さんといえば、長きにわたって出演されたハウス食品の「バーモントカレー」CMの「秀樹、カンゲキ!」の台詞が超有名です。
なんと12年間もこのCMの広告の顔として活躍し、子どもから高齢者までが知るお茶の間の顔となりました。
子どもたちとの共演が微笑ましいこのCMがとてもウケたのは、激しい歌とはまた別の秀樹さんの明るさや人懐っこさが見えたから。
そして何と言っても「カックラキン大放送」などのバラエティー番組でのコントでは秀樹さんの思い切りのよい演技やお笑いのセンスが光ります。
また、そんな秀樹さんに魅力を感じドラマをオファーしたプロデューサーがいました。
そのプロデューサーとは久世光彦さん。
日本の家族像を描いたTBSドラマ「寺内貫太郎一家」。日本男児を体現する寺内寛太郎の息子役として秀樹さんを指名。
秀樹さんのワイルドさの中に潜む精細さを見抜いており、彼以外の配役は考えられなかったと語っています。
一度父役小林亜星さんとの本気の取っ組み合いのシーンを撮影中、秀樹さんが腕を骨折し入院してしまったのです!
現在だったらただでは済まないでしょうがそれでも秀樹さん側はクレームを出すことなくドラマ制作に理解を示し出演を続けてくれたことに久世さんは感謝しているとのことでした。
西城秀樹人気の秘密④時代の先端を行く先見の明
秀樹さんは日本人ソロアーティストとして初めてスタジアムコンサートを開催(グループではザ・タイガース)。
常に新たな試みに積極的に挑むチャレンジャーでした。
アメリカの「ウッドストック・フェスティバル」に影響を受け野外イベントを日本でいち早くやりたいと自ら企画し実現したようです。
宙吊りのゴンドラの中での歌唱やヘリコプターを使用したり、日本初の導入とされるレーザー光線での演出など、エンターテインメント満載のコンサートの始まりは秀樹さんと言われています。
今ではコンサートの演出として当たり前に使用されているこれらの演出はすべて秀樹さんがさきがけだったとは筆者も知りませんでした。
ある時秀樹さんが「火以外で何か光るものを用意してきて欲しい」とファンに呼びかけたら、多くのファンがペンライトを持参しました。
それ以降他のアーティストのコンサートでも「ペンライト」をファンが持参するようになった。
それが日本のコンサートでのペンライト使用の始まり、となっているようです。
これはファンとのやり取りの中で生まれた偶然の産物だそうですが、この「光るもの」のアイデアとしてはサーモンとガーファンクルの海外ライブでファンがライターに火を灯す様子を見て、秀樹さんが思いついたものなのだそうです。
また意外な一面として、後進のスター発掘を早くから手掛けていました。
秀樹さんが発掘に関わった方たちを挙げておきます(敬称略)。
- 浅田美代子(街頭でスカウト)
- 相本久美子(芸映への移籍を推薦)
- 河合奈保子(HIDEKIの弟妹募集オーディション)
- 石川秀美(HIDEKIの弟妹募集オーディション)
- 岸本加世子(コンサート会場にてスカウト)
今も芸能史に残る(現役の方も含め)そうそうたる方々の発掘に関わっていたことに本当に驚きますね!
なお、河合さんと石川さんについては、最終選考でいずれも秀樹さん推薦で逆転1位となったそうです。
後に80年代を代表するアイドル歌手となった河合さん石川さん、秀樹さんの先見の明さすがです!
お二人に共通するのは誰からも愛される健康的なキャラクターであり、秀樹さんの素顔の人柄と相通じるものがあると思います。
秀樹さんは海外で成功を収めた最初の日本人だった1981年には香港で初コンサートを開催し、「天皇巨星(超スーパースター)」「最もセクシーな歌手」として大絶賛を受けます。
香港ではゴールドディスクを4年連続、プラチナディスクを合計6回も受賞し、その後続く日本人歌手のアジア進出を牽引しました。
他にもシンガポール、中国、タイ、ブラジルなどでコンサートを開催しいずれも大成功を収めています。
昭和歌謡スター西城秀樹のオススメ曲解説
★秀樹さんの曲はハッキリ言ってどれもオススメです!
数曲に絞りきれないのでいくつか系統ごとにオススメ曲を分類してみましたので参考にしてみてくださいね。
はつらつ系のオススメ曲
元気で明るい秀樹さんの素に近い曲たちといえるかもしれません。
YOUNG MAN(Y.M.C.A)(作詞H.Belolo,V.Wills,あまがいりゅうじ、作曲J.Morali、編曲大谷和夫)
『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』は28枚目のシングルで、オリコンチャートで5週連続1位を獲得し、TBSの歌番組「ザ・ベストテン」では全部門1位の最高点の9999点を叩き出した大人気曲でした。
しかし、「日本レコード大賞」は外国曲だからという理由で当時ノミネートさえもかなわなかったのです。
この曲は渡米した際に秀樹さん自らが見つけて、カバーをしたい!と熱望し、コンサートで披露したところリクエストが殺到し急遽シングル化が実現した曲。
見事この曲は売上では180.8万枚とダブルミリオンに近い売上げとなり、秀樹さん最大のヒット曲となりました。
曲調もポップで爽やかですが、何より曲中の「Y!」「M!」「C!」「A!」の掛け声とともに体でアルファベットを表現するこの振り付けは小学生から大人まで大ブームとなりました。
ホップ・ステップ・ジャンプ(作詞山崎光、作曲水谷公生、編曲水谷公生、佐藤準)
『ホップ・ステップ・ジャンプ』は『YOUNG MAN』に続く29枚目のシングル(オリコンチャート最高2位)
爽やかな応援歌という意味では前回シングルと曲調がほとんど同じです。
この曲は日本人作家の曲で『YOUNG MAN』ほどの勢いはなかったのですが、隠れた名曲の一つではないでしょうか。
爽やかで、サビの部分を秀樹さんが「青春は~」と歌っていると「ホップ!」「ステップ!」「ジャンプ!」と合いの手をファンの人が入れていくというコール&レスポンスが楽しい曲です。
走れ!正直者(作詞さくらももこ、作・編曲織田哲郎)
『走れ!正直者』はご存知アニメ『ちびまる子ちゃん』の第一期後半のエンディングテーマです。
この企画は作者のさくらももこさん自身が秀樹さんの大ファンであったことから実現したものです。
さくらももこさんの「リンリンランランソーセージ ハーイハーイハムじゃない なんてことはぜーんぜん彼女も言ってない」という完全におちゃらけた歌詞をスカのリズムに乗って素晴らしい歌唱力で歌っているのがカッコ良すぎます。
一度『ちびまる子ちゃん』2時間スペシャルに秀樹さん本人が「魚辰の辰(たつ)」という役で出演されています。
この「辰」とは紛れもなく秀樹さんの本名「龍雄【たつお】」さんのことでありコアなファンならではの演出ですね!
情熱セクシー系のオススメ曲
『激しい恋』『傷だらけのローラ』アースコーポレーション移籍後第一弾の『ギャランドウ』『ナイトゲーム』……捨てがたい情熱セクシー系だらけなのですが、あえて初期の作品を選ばせていただきました。
ジャガー(作詞阿久悠、作・編曲三木たかし)
1976年発売17枚目のシングル(オリコンチャート最高3位)。
ギラギラで前面は胸元深く背中も腰に近いほど深くあいたきわどい衣装を着こなし、「抱いてやる!」と胸中の台詞を絶叫する姿はカッコ良すぎて卒倒もの。
実は衣装にはいわゆる「赤ジャガー」「黒ジャガー」と2種類あり、赤い方のデザインはアン・ルイスさんだと(秀樹さんご本人談)。
特に腰のあたりまで背中があいていて、ワンショルダーとなっているのは「赤ジャガー」で、赤黒共に髪に羽をつけています。
黒い方はピンク・レディーと同じ衣装デザイナーとおっしゃっていました。
昭和歌謡アイドルピンク・レディー編~TVに正座~人気の秘密と名曲解説
スタイルの良い秀樹さんでないと着こなせない衣装を身にまとい、狂おしく歌う秀樹さんの姿が眩しすぎる珠玉の一曲です!!
ブーツをぬいで朝食を(作詞阿久悠、作曲大野克夫、編曲萩田光雄)
1978年発売23枚目のシングル(オリコンチャート最高7位)。
小学生ながらタイトルと歌詞の内容にドキドキしてしまった曲です。
大人の恋愛の世界をのぞき見しているようなそんな背徳感……
「あとは流れゆく時のままにまかせ 波間に揺れている舟のように……」と阿久悠さんの詞の物語を紡ぐように秀樹さんが少し抑え気味に歌っているのが色っぽいです。
歌のイントロ部分でライターに火を灯すアクションがあったのを(現代のテレビ放送では絶対にNGでしょうね!)薄らぼんやり憶えていたのですが、途中から中止となったようです。
当時なんと真似した子どもが火災をおこしてしまい秀樹さん本人がテレビ番組で「自分もライターを使うのをやめるから絶対真似しないように」子どもたちに涙ながらに訴えたと、秀樹さんの誠実な人柄がわかるエピソードが残っています。
炎(作詞阿久悠、作・編曲馬飼野康二)
25枚目のシングル(オリコンチャート最高5位)。第7回東京音楽祭外国審査員団賞受賞の作品。
この「外国審査員団賞」は外国人の審査員から最も優秀であると認められた日本人アーティストに贈られる賞です。
秀樹さんのアクションや歌唱力の日本人ばなれした魅力が海外の方にも認められたことを当時小学生ながらもすごいことだなぁと嬉しかったのを憶えています。
曲のアレンジも本当にドラマチックでカッコいいです。
さわやか系のオススメ曲
次点として『若き獅子たち』(作詞阿久悠、作・編曲三木たかし)『ベジタブル・ワンダフル』(作詞有森聡美、作・編曲宅見将典)を挙げさせてください!
これらもメチャクチャ素晴らしいので曲を知らない人思い出せない人はぜひ聴いてみてくださいね。
なお『ベジタブル・ワンダフル』の作・編曲者宅見将典さんは2018年アメリカグラミー賞最優秀グローバルミュージックアルバム賞を受賞した方。秀樹さんの実姉の息子さんで、音楽面で秀樹さんから受けた影響や恩恵は計り知れないということです。
ブルースカイブルー(作詞阿久悠、作・編曲馬飼野康二)
26枚目のシングル(オリコンチャート最高3位)。
実は既婚女性との禁断の恋と別れを描いたバラード曲。当時秀樹さんは23歳という若さでした。
しかし秀樹さんはこの阿久悠さんの大人の物語をせつなく温かく歌い上げ、なんと14週もTBS「ザ・ベストテン」にランクインするというロングヒットとなりました。
胸が締めつけられるのにそこに青空が存在することで、最後には哀しみが浄化されていくような不思議な魅力のある歌です。
作詞家阿久悠さんがしばしばコメントされていますが、歌は1番から最後までトータルで聴くことで初めてその歌全体の意味を知るもの。
『ブルースカイブルー』は特に最後の「青空よ心を伝えてよ かなしみはあまりにも大きい 青空よ遠い人に伝えてさよならと」のボーカルと楽曲が圧巻。
秀樹さんの声と歌唱力がこの曲のスケールの大きさを引き立てています。
俺たちの時代(原作詞熊野昌人、補作詞たかたかし、作曲水谷公生、編曲佐藤準)
33枚目のシングル(オリコンチャート最高6位)。
実は『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』『ホップ・ステップ・ジャンプ』に続く青春讃歌・応援歌シリーズの第3弾だったようです。
『ホップ~』とは少し間が空いているようですが。
実は1980年の夏季オリンピックのJOC応援ソングとして予定されていたのですが、日本はオリンピック参加をボイコットしたため、幻のオリンピックソングとなってしまいました。
そう、その幻のオリンピックとはモスクワオリンピックです。
この爽やかなイントロを聞き返すと記憶がよみがえってきました。
「友よ もっと高くもっときららかに 愛と誇りを守るため 友よもっと熱くもっと美しく 今燃えろ 俺たちの時代」
この素晴らしい歌詞が本来ならばこの夏中聴けるはずだったのに、参加できなかった選手とともに秀樹さんも悔しさをかみしめていたでしょう。
ソビエト連邦のアフガニスタン進行に反発したアメリカ、西側諸国にならっての日本のボイコットだったのですが、平和の祭典であるオリンピックが政治の影響を受けた悲しい出来事でした。
眠れぬ夜(作詞作曲小田和正、編曲船山基紀)
36枚目のシングル(オリコンチャート最高10位)。
YOUNG MAN(Y.M.C.A)の大ヒット後の1980年、楽曲を大人路線へとシフトしますが、ベストテン番組からしばらく遠ざかることに。
久々にTBS「ザ・ベストテン」に登場したのはニューミュージックの人気グループ「オフコース」のカバーであるこの『眠れぬ夜』のヒットによるものでした。
オフコースの『眠れぬ夜』は5年前にシングルリリースされヒットもしていたのでオフコースファンは複雑な思いだったそうです。
こちらが原曲(8cmCD)
しかしながら、絶唱ボーカルを封印して抑え気味のボーカルと船山基紀さんの軽妙なアレンジで秀樹さんのカバー曲の中でも秀逸の一品となりました。
結果、秀樹さんのカバー後にオフコースの原曲『眠れぬ夜』も幅広く知られるようになったのです。
実は小田和正さん自身は『眠れぬ夜』についてはディレクターがこれまでのオフコースから方向転換を図ろうとした曲。
小田さんの意に反してポップな仕上がりだったため、最初は小田さん的には『眠れぬ夜』はボツ候補だったのをディレクターに説得されてのリリースだったそうです。
この時ボツになっていたら、秀樹さんの名カバーも生まれていなかったのですから、そうならなくて良かったですね!
外国曲のカバー
秀樹さんは日本語曲だけでなく多くの外国曲も積極的にカバーしています。
抱きしめてジルバ(作詞作曲G.Michael,A.Ridgeley,補作詞森田由美)
49枚目のシングル(オリコンチャート最高18位)。作曲者G.Michaelとは「ワム!」のジョージ・マイケルのことです。
当時イギリスでアイドル的に人気のあったデュオ「ワム!」の世界的なヒット曲「ケアレス・ウィスパー」をカバーしたもので、同時期に新御三家の郷ひろみさんも同じ曲のカバーを出したことで話題になりました。
この曲のリリースは秀樹さん29歳の時で、大人の秀樹さんの魅力が感じられます。
腕の中へーin search of loveー(feat.B.Manilow)(作詞A.Rich、吉田美奈子、作曲B.Manilow、H.Rice、編曲船山基紀)
53枚目のシングル(オリコンチャート最高10位)。
アメリカを代表する歌手バニー・マニロウとのデュエット曲。
なんと秀樹さんの『抱きしめてジルバ』をアメリカのラジオで聴いたマニロウさんが「本家のワム!よりもフィーリングが良い」と感銘を受け、それが縁でフジTV「夜のヒットスタジオ」で急遽デュエットが実現したという。
アメリカの実力歌手さえとりこにした秀樹さんの歌。
マニロウさんも相当歌の上手い方ですが、お二人共とても楽しんでいるのがわかる素晴らしい日米デュエットソングとなっています!!
まとめ
昭和歌謡スター(もちろん平成も大スターでした!!)西城秀樹さんについて語らせていただきました。
- 昭和歌謡スター西城秀樹のプロフィールとデビュー秘話
- 昭和歌謡スター西城秀樹人気の秘密
- 昭和歌謡スター西城秀樹のオススメ曲解説
もう調べれば調べるほどいろいろなエピソードが出てきて、すべてを紹介し尽くすことは無理だとあきらめました。
そのくらい秀樹さんは才能も豊かで、またエネルギッシュなアイデアマンで、本当に愛すべきやんちゃでロック好きの素敵なアーティストだったのですね。
いくつかブログやインタビュー記事などを見つけてみたのですが、元マネージャーさん(片方さん)のインタビュー記事も興味深かったです。
秀樹さんの歌声は日本のエンターテインメントの財産ですから、このお宝の素晴らしさが一人でも多くの方に伝われば幸いです!!
秀樹さんの素晴らしいパフォーマンス、もっとテレビで放映されると嬉しいですね。
度重なる脳梗塞を乗り越えた秀樹さんからのメッセージを読んでみたい人にオススメの本です。
ご来店ありがとうございました。
次回もどうぞお楽しみに。
またのご来店をおまちしております。
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