2023年11月11日(土)、岡山県高梁市成羽町で成羽愛宕(あたご)大花火大会が開催されました。
なんと6年ぶりの開催ということで、楽しみに待っていた花火ファンが成羽町に大集結し大盛況のうちに無事終了しました。
最後の開催が2017年。
2018年は西日本豪雨災害、2019年は大雨、そして2020年から2022年まではコロナ禍のため花火大会は開催されませんでした。
今年の夏も開催のアナウンスがなく「もう成羽の花火は終わってしまったのかなぁ」と残念に思っていたので、花火の復活本当に嬉しかったです!復活おめでとうございます!!
筆者は知らなかったのですが、3月30日に実行委員会が記者発表にて令和5年度は11月11日(土)に開催する!と発表されていたようです。
「ゲリラ豪雨の可能性が少なく、空気が澄み紅葉が綺麗」という理由で秋開催に決定されたそうです。

紅葉と川(イメージです)
ドーンと花火が上がった瞬間は感動しました~(;_;)久しぶりに花火を間近に見られたのも嬉しかったし歴史ある花火が再び継承されて良かったという
50代こそ花火大会に行くべき理由!驚きの花火鑑賞4つの効果とは
成羽愛宕大花火大会は300年以上の歴史があり、江戸の両国花火よりも古い歴史を持つ、という記述を見かけ「本当なのだろうか?」と疑問に思い確認してみました。すると……
- 成羽愛宕大花火の始まり→成羽藩2代目領主山崎義方ー1704年(宝永元年)
- 両国川開き→江戸幕府第8代将軍徳川吉宗ー1733年(享保18年)
つまり、「成羽愛宕大花火は両国花火より本当に古い!」ということがわかりました。
それでは成羽愛宕大花火の歴史を一緒に紐解いていきましょう!
成羽愛宕大花火大会は江戸愛宕神社の勧請から始まった
成羽愛宕大花火は成羽藩2代目領主山崎義方氏が1704年成羽の愛宕山に江戸・愛宕神社を勧請(※)した際、花火を奉納したのが始まりとされています。
※勧請(かんじょう)=神仏の分身・分霊を他の地に移して祭ること(デジタル大辞泉より)
成羽藩といえば、大坂の陣で功績を上げた山崎家治氏が初代藩主。
当時栄えた成羽陣屋の面影は現在も成羽町に残されています。

成羽陣屋跡地にある成羽美術館(安藤忠雄氏設計)
成羽藩2代目領主山崎義方氏のお国入り
山崎家の江戸屋敷は東京の麻布愛宕下にあり、領主在任時は罪人の預かりなどの業務を行っていました(屋敷跡は現在アルゼンチン大使館。有名な『がま池伝説』のがま池も一部現存)。
1676年義方氏10歳の時に第4代将軍徳川家綱公に拝謁し、その後第5代将軍綱吉公、第6代将軍家宣公に仕えています。
父山崎豊治氏の隠居に伴い成羽領5000石の家督を相続。
1689年6月江戸屋敷より国元である成羽藩へ赴くことを初めて許可され、お国入りをはたします。

成羽陣屋跡 御作事門
身分は父豊治氏と同じく大名と同等の格式を与えられた「交代寄合表向御礼衆」となります。
勧請した愛宕神社への奉納が花火の始まり
1704年(宝永元年)、山崎義方氏は尊崇していた江戸の愛宕神社を成羽の愛宕山頂(現在の高梁市成羽町下原343)に勧請。
その際花火を白谷堤にて奉納したのが、成羽愛宕大花火の始まりとなりました。
白谷堤は白谷川沿いを指し、現在は白谷公園として整備されています。
3月下旬~4月上旬には約200本のソメイヨシノが400mに渡って咲き誇る桜の名所となっています。
現在の成羽愛宕大花火はこちらではなく、成羽川の河原で打ち上げられています。
江戸の愛宕神社とは
山崎義方氏が江戸屋敷近くの愛宕神社を信仰していたことがそもそも成羽愛宕大花火へとつながっていくわけですが、江戸の愛宕神社とはどんな神社なのか調べました。
この江戸の愛宕神社を造ったのはなんとあのお方ですよ!!
江戸の愛宕神社を1603年(慶長8年)に創建したのは徳川家康公。
火産霊命(ほむすびのみこと)、つまり防火の神様が祀られています。
現在も東京都港区愛宕一丁目にあり、防火・防災に霊験のある神社として知られています。
ちなみに東京・愛宕山は、東京23区内の天然の山としては最も高い山(標高25.7m)。
見晴らしが良く自然も美しいことから古くから景勝地として知られており、歌川広重の浮世絵にも残されています。
正面の坂(男坂)は「出世の石段」と呼ばれ、86段の石段はなんと約40度の急勾配!
脇には緩やかな勾配の女坂もあるので、脚腰に自信のない人はこちらの方が安心して登れそうですね。
現在は周辺がオフィス街となっており、自然豊かな境内はビジネスパーソンの憩いの場となっているようです。
成羽・愛宕山信仰とは
高梁市成羽愛宕山(標高370m)は古くから人々の信仰の対象でした。
山上に八大竜王が住み、雨を降らせてくれるという雨乞い信仰の山でもありました。
創立1651年(慶安4年)といわれる竜王山長運寺(天台宗)があり、この愛宕神社とともに神仏混淆権現様として天台宗の修験の山となっていました。
江戸時代、愛宕山の信仰は盛んで多くの人がお詣りをし、祭りには賑わいを見せていたようです。
愛宕神社は現在も頂上に社を構え、奉納された観音様の石像も現存しています。
(登山は頂上まで約40分程度かかるようです。万が一登山に挑戦される方は天候と自身の体調そして安全面に十分配慮しましょう。山中で電波が入らない場合はグーグルで地図が使えない場合もあるかもしれません。紙の地図の用意など十分備えリサーチして自己責任でお願いします^^;)
成羽愛宕大花火大会を支える縁の下の力持ち
昔も今も、さまざまな人たちの支えによって花火大会の伝統は守られています。
山崎家花火の秘伝
山崎家の大砲術に花火の秘伝があったと古文書に記されています。
「大砲術の中に狼煙(のろし)の仕法があり、狼煙の色で伝達事項を変えていた」
つまり、それが花火の技術に生かされていたと考えられますね。
この山崎家の大砲術は「荻野流」であったことも古文書に残されています。
荻野流とは……近世和琉砲術の流派の一つ。種子島の砲術を学んだ荻野六兵衛安重が祖。各地を歴遊して奥義を極め、荻野流を編み出す。安重氏は1667年(寛文7年)岡山藩池田光政氏に招かれている。継承したその息子の没後(1747年没)備中足守の藩士上田代二郎が後を継ぎ全国に広げ、後に著名な砲術家を輩出している。
花火大会の準備のために練習をしたり、対岸の人を運ぶ船頭を花火大会のために増員したりするなど、花火のために成羽藩が尽力したことが記録に残っています。
現在花火の伝統を支える人たち
現在、成羽愛宕大花火大会をサポートし盛り上げてくれているのは以下の方たちです。
- 花火師(打上げ花火、火薬の扱い)
- 町民ボランティア(実行委員会、駐車場係、観覧席係、電気係、消防団員、花火係など)
火薬の扱いなど法律に触れる箇所は花火師が取り仕切る一方、それ以外を町民ボランティアが運営しているのが成羽愛宕大花火大会の最大の特徴といえます。
町民ボランティアは総勢500人規模。町民が図柄を決める仕掛け花火もあり、市民参加型花火大会としては大規模なものです。
まさに「花火に向かって町が動く」成羽愛宕大花火の伝統行事の継承は、地域の絆を更に深める大切な場と言えるでしょう。
地元の住民の方々は幼い頃からこうして大人たちが誇りを持って花火大会の準備に取り組み、花火大会を守ろうと努力する様子を見ながら育ち伝統を継承してきました。
江戸時代から300年以上続くこの伝統行事を途切れさせずに未来へとつないでいく。
その思いが6年ぶりの開催につながったということに他ならないでしょう。
そしてさらに地元の小学生にも花火大会の魅力を伝える活動が行われ、実行委員会の働きかけで仕掛け花火の図案を小学生たちが考える活動も行われました。
流星奉行
江戸時代、「流星奉行」と呼ばれる若者のグループが、山崎義方氏のはからいで鉄砲や火薬の再利用により「カラクリ」などの花火を造っていました。
花火の火薬の調合は山崎家の大砲方(荻野流火砲術)が担当し、10歳~12歳までの少年が小使い役を務めた。その報酬として流星2本をもらい13歳になると流星係となり『流星奉行』として称えられた。花火の中心である「カラクリ」いわゆる仕掛け花火の操作に入ることを許されていたということである。ー成羽町史「民俗編」より引用
1996年(平成8年)、成羽町商工会青年部によりこの『流星奉行』が復活をはたしました。
現代版『流星奉行』として、仕掛け花火点火(1000mに及ぶ大銀滝と呼ばれる仕掛け花火)の点火合図に携わり花火を盛り上げてくれています。

仕掛け花火(滝)のイメージです
まとめ
6年ぶりに復活を遂げた成羽愛宕大花火大会はまさに300年以上の歴史を誇り、住民が一体となって取り組む大切な伝統行事でした。
実際に今回の花火大会に車で出かけて行ったのですが、実はあまりに混雑していて花火開始の午後7時の時点ではまだ運転中。

車から見た花火
成羽町には入れたのですが、大渋滞のため目的地の対岸に進むのに40分もかかりました。
しかし、車の中でも河川敷に近い場所でしたので、花火が近くでドーンと上がる音や花火そのものをしっかり味わうことはできました。
花火が終わる15分前やっと目的地の高台に到着し、高台から拝めました。

成羽愛宕大花火2023高台から拝めました!

大きな花火!ワクワクしますね!
思い切って2~3時間ほど余裕を見ていくくらいでないと、一本道となるので渋滞を免れることはできないかもしれません。
町内に入れば、駐車料金は1000円~で停めることができます。
ただし河川敷近くの場所は停める台数が限られているのでかなり余裕を持って現地入りされることをおすすめします。
では、お読みくださりありがとうございました。
またのご来店をお待ちしております。
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